闇を広げていけ
コーヒーはあったかくなったものの、ぼくの心があたたかくなるわけではない。
ぼくは何かに変わってほしいと願うとき、そうして何かが変わることによって自分も変わるのではないかと期待している。
ぼくは昨日、クラスメイトとカラオケに行って、初代プリキュアOPを歌ったのが誇らしく、こんな自分が大好きだね、と言った。
それは真実であり嘘だ。真実はいつも1つだろうが、真実と嘘が重なった解だってある種の真実だろう。
自分が大好きなのも、大嫌いなのも、どちらも正しい。
プリキュアを堂々と歌えるのが好き。
自分のことを理解してくれるしした気でいさせてくれるから好き。
話し相手になってくれるから好きだけど、それは虚しい。
現実感がないのが嫌い。
積極性がないのが嫌い。
欲を制御できないのも嫌い。
嫌い。
自分のことが大好きだ、という強い自己肯定。自分なんて大嫌い、という自己否定。
両方ある。でも嫌いな部分の方が大きいかもしれない。それを自分で騙そうと、頑張って肯定しようとしている。
嫌いなところは、誰かにあって、自分にないものだ。そんなものは諦めてしまうしかないのに、どうして自分にはないんだろうと失望して、自己嫌悪する。
きっとぼくは、何も考えていない。